アンダーアーマーとの契約解除でカリーブランドはどこへ?
スポーツビジネス界を揺るがす衝撃的なニュースが飛び込んできました。NBA史上最高のシューター、ステフィン・カリー選手が、12年間にわたりパートナーとして歩み続けたアンダーアーマー(UA)と袂を分かち、自身の「カリーブランド」を独立させることが発表されたのです 。
このニュースが業界に与えた衝撃は計り知れません。なぜなら、両者はわずか2年前の2023年3月、カリー選手の引退後も続く「長期契約延長」を結んだばかりだったからです 。この契約は、株式やロイヤリティなどを含め、総額10億ドル(約1500億円)規模の「生涯契約」になる可能性が報じられていました 。
10億ドルの生涯契約から一転、なぜ両者は決別を選んだのか?公式発表は「相互合意」とされていますが 、その裏には「経営再建を急ぐUA」と「完全な独立を望むカリー選手」という、両者の根本的な戦略の衝突がありました。この発表を受け、日本のアンダーアーマーのページからはカリーの特集ページへアクセスできなくなっています。
この歴史的な分離に至った「本当の理由」を、原点から解き明かします。
すべての始まり:2013年、ナイキの「歴史的失態」
この物語を理解するには、時計の針を2013年に戻す必要があります。当時、カリー選手はナイキと契約していました 。しかし、契約更新のプレゼンテーションで、ナイキはスポーツマーケティング史上最悪とも言われる失態を演じます。
カリー選手の父、デル・カリー氏の証言によれば、そのプレゼンは惨憺たるものでした。
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名前の間違い:ナイキの担当者は、ステフィン(Steph-en)の名前を「ステフォン(Steph-on)」と繰り返し呼び間違えました 。
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資料の使い回し:PowerPointのスライドには、あろうことか別のスター選手「ケビン・デュラント」の名前が残ったままになっていたのです 。
この屈辱的な扱いは、ナイキがカリー選手を「二流(セカンドティア)」のアスリートとしか見ていなかった証拠でした 。年間わずか250万ドルのオファーに対し 、当時バスケ界では無名だったアンダーアーマーが、年間400万ドルと「ブランドの顔」という役割、そしてシグネチャーシューズを約束したのです。
カリー選手はUAを選び、この移籍がUAのバスケットボールシューズの売上を2016年までに350%以上も急増させる、歴史的な大成功となりました 。しかし、この2013年の経験こそが、カリー選手の中に「正当な評価」と「ブランドのコントロール権」への強い渇望を植え付けた原点だったのです。
亀裂の始まり:UAの失速と2020年「カリーブランド」設立
カリー選手の成功とUAの成長はしばらく続きますが、2016年頃から陰りが見え始めます。「Curry 3」の売上が鈍化し 、UAのマーケティング戦略はファンから「ひどい」と酷評されるようになりました 。UAはカリーというスーパースターを抱えながら、ナイキの「ジョーダンブランド」のような文化的ムーブメントを起こせずにいたのです。
この状況にカリー選手が不満を募らせていたことは想像に難くありません。UAはカリー選手の離反を防ぐため、2020年に「ジョーダンブランド」を模倣したサブブランド、「カリーブランド」の設立を発表します。
【真相① UA側】経営再建の「お荷物」だったカリーブランド
2023年に「生涯契約」と「カリーブランド社長」という肩書きを与え 、関係は安泰に見えました。しかし、その裏でUA本社は深刻な経営危機に瀕していました。
創業者のケビン・プランク氏がCEOに復帰した2024年当時 、UAの株価は過去3年で54%も下落 、同社は大規模なリストラを進めていました 。
そして、今回の分離の「本当の理由」を示す決定的な証拠が、UAの経営計画にありました。カリーブランドの分離は、UAが発表した9500万ドルのリストラ計画拡大の一環として公式に明記されたのです。
なぜリストラ対象になったのか? 答えは収益性です。
UAのバスケットボール事業(カリーブランド含む)の収益は、年間わずか1億ドル程度 。一方で、ナイキのジョーダンブランドの収益は年間50億ドル以上です。
アナリストは、カリー選手への高額なロイヤリティや運営費を考慮すると、カリーブランドは「よくても最小限の利益、あるいは不採算」であった可能性が高いと指摘しています 。
つまり、UAにとってこの「友好的な分離」とは、実質的に赤字部門を切り離す「財務的な決断」だったのです。ケビン・プランクCEOの「中核となるUAブランドへの集中」という言葉 は、「経営再建のために不採算部門を切り捨てる」という冷徹な宣言に他なりませんでした。
【真相② カリー側】UAでは満たされない「成長への渇望」
UAが「コスト削減(縮小)」に舵を切る一方、カリー選手は全く逆の未来を描いていました。
カリー選手が発表した声明で一貫して使われたキーワードは、「積極的な成長(aggressive growth)」です 。彼はカリーブランドを、引退後も続く「レガシーブランド」へと成長させる強い野心を持っていました。
しかし、その野心を実現するためのパートナー(UA)は、リストラ真っ最中 。カリー選手が望む「積極的な投資」は、UAの経営陣が承認できる状態ではありませんでした。
カリー選手の「拡大路線」と、UAの「縮小・再建路線」。両者のビジョンは、もはや根本的に相容れないものとなっていたのです。
そして、カリー選手は決定的な切り札を握っていました。それは、彼が自身のブランド名、ロゴ(「Splash」ロゴ)を含むすべての知的財産(IP)を所有しているという事実です 。これはアスリート契約において極めて異例です。
UAがコスト削減のために契約終了を申し出たとき、カリー選手は「結構だ。ブランドIPはすべて私が持っていく」と言うことができたのです。彼は10億ドルの契約を失う代わりに、自らのブランドの「完全な運営管理権」と「自由」を手に入れました。
次なる一手:ナイキのコービー着用と「フリーエージェント宣言」
カリー選手は、この独立が何を意味するかを世界に示すため、天才的な行動に出ます。
分離発表の翌日、11月14日の試合前ウォームアップで、彼は12年間履き続けたUAのシューズではなく、なんと古巣ナイキの「コービー6 “Mambacita”」モデルを着用したのです。
Chaz NBA : YouTube Channel
カリー選手自身は、故コービー・ブライアント親子への「敬意(tribute)」だと説明しました 。それは真実であると同時に、彼がメディアと市場に向けて放った、計算され尽くした「シグナル」でもありました。
彼はメディアに対し、自らこう宣言したのです。
「私はフリーエージェントだ(I’m a free agent)」
これは、12年前に自分を「ステフォン」と呼び、正当に評価しなかったナイキに対する、最高の「リベンジ」であり「営業活動」です。「12年前に私を逃したことで、あなた(ナイキ)は数十億ドルを失った。今、私は自由だ。もう一度交渉のテーブルにつく準備がある」という強烈なメッセージとなりました。
カリーの次なるパートナーは?
ステフィン・カリーとアンダーアーマーの12年間の物語は、UAの経営不振と、UAの器には収まりきらなくなったカリー選手の野心によって、幕を閉じました。
カリー選手は今後、自身がIPを所有する「カリーブランド」のCEOとして、新たなパートナーを探すことになります。
最有力候補はもちろん、ナイキへの電撃復帰です 。チームメイトのドレイモンド・グリーンも「もしカリーがナイキにいたら、ジョーダンブランドと同じくらい大きくなっていたかもしれない」と語っています。
あるいは、ロジャー・フェデラーが成功した「On」のような新興ブランドと組む可能性もあります。
いずれにせよ、カリー選手は単なる「広告塔」としてではなく、「カリーブランドという企業のCEO」として、次のパートナーと交渉します。彼はコート上のレガシーに加え、コート外での「ビジネスマン」としてのレガシーを、今まさに築き始めたのです。